初出展 東方夜伽話
登場人物
パチュリー・ノーレッジ
小悪魔
proloug
それは幻想郷が白で覆い尽くされた頃のお話。
一面銀世界という表現が似合う、深夜。
月の光が雪を照らし出し、キラキラと輝いて見える幻想的な美しさの中。
パチュリー・ノーレッヂが無言で佇んでいた。
ずっとそうしていたのか、パチュリーの顔に生気は無く、今にでも倒れそうである。
そんな様子の彼女は、それでも空を眺めていた。
星が自分の手から空へ逃げてしまった。その後姿を幻視しながら。
「ああ」
ようやく呟いたその溜息にも似た弱々しい声に。
反応したように、零れる涙。涙が一筋眼から頬に伝って流れる。
(魔理沙)
一人の少女を想う。大切で、かけがいの無い愛しい人。
自分の下から逃げてしまった、星の如き輝きを持つ霧雨魔理沙を想いながら。
パチュリーは一人孤独に泣いていた。
魔理沙がパチュリーの元からいなくなって二年目の、冬のことである。
6/
吹き荒れる吹雪に、カタカタと窓が揺れる。
出掛けるには命懸けで挑まなければならないような日。
紅魔館にあるヴワル図書館の主………パチュリー・ノーレッヂは窓の外を眺めていた。
その眼差しが含めるのは憂いだった。
「今日は駄目ですよ」
そんなパチュリーに声掛けるのは使い魔の小悪魔である。
パチュリーは振り返らぬまま、すこしだけ窓から視線をずらした。
「こんな日は思い出してしまうわね」
ふっ、と嘲笑する。その笑みには自分を馬鹿にするような意味が含まれていることを小悪魔は分かっていた。結構長い間使い魔として傍に仕えていれば理解できてしまうのだ。パチュリーが何を考えているのか。
決して、知りたくなくても。
分かってしまうのだから、仕方が無い。
「パチュリー様」
「分かっているわ」
小悪魔の心配そうに歪んだ表情を横目で一瞥して、ふんっと鼻であしらった。
いつからだろうか。パチュリーが変わってしまったのは。
小悪魔はふと、考える。
昔はもっと賑やかだった紅魔館の図書館を幻想しながら。
真夜中、月の光さえ届かなくなった図書館で冬になると決まってパチュリーは窓から空を眺めるようになった。晴れた日は外に出る事だってある。
まるで何かを待ち望んでいるように。
まるで何かを求めているように。
でも、小悪魔は知っていた。
パチュリーが望むものは、絶対に来ない。
(彼女は、もう帰ってこないんですよ。パチュリー様)
パチュリーが望むもの。
空を眺め、願うのはある少女の帰還。
しかし、決して帰ってくることの無い―――――――――。
1/
私が魔理沙を好きになったのは、いつからだったか。
気付けば好きになっていたような気がする。
本を借りるという名目上盗んでいく魔理沙は、同時に私の心まで盗んで行ってしまった。
魔理沙のことを思えば体が熱くなったし、魔理沙のことを考えれば読んでいる本なんてどうでもよくなっていた。
全く、私らしくないとは理解しているけれど。
この胸が苦しくなる病気のことを、メイド長の咲夜はなんと言ったか。
『それはですねパチュリー様。恋わずらいですよ』
彼女自身、門番の美鈴を想ってずっと待ち続けていたから、その手のことでは五百年近く生きているレミィや魔女の私よりも詳しい。
だから、きっと私のこの痛みは『恋わずらい』………なのだろう。
「恋………、わずら、い」
呟く声が震えるのが自分でも分かる。
百年近く生きている魔女である私が経験したことの無い感情。孤独に生きる魔法使いだからこそ他者の存在を必要としなかった私が始めて求めた他人。
霧雨魔理沙。
それが彼女だった。
(魔理沙が……好き)
気付いてしまえば、意識するようになった。
だから、本を盗みに来る魔理沙を引き止め、強引にお茶に誘ったり。
合同研究をしないかと、誘ったこともあった。
現に魔理沙は快く了承してくれたから、前よりも共にいる時間は延びていった。
共にいればいるほど満たされて、同時にもっとと求めるようになった。
(もっと傍にいたい)
好きだから。
愛しているから。
大好きだから。
彼女が求めれば私は何だって捧げるつもりだった。自分の魔女としての生を彼女に捧げてしまってもいい。
一生、魔理沙と共に入れるのならば全部投げ出して捨てても構わないと。
だけど、それが叶わないことだと気付いたのはいつだったか。
確か、雪が舞い始めていたと想う。
私はその日も魔理沙を待っていた。
でも、いくら待てども魔理沙は来ない。
『魔理沙………』
いつもならば、元気良く窓を突き破って盛大に登場するというのに。
その日、魔理沙はついに来なかった。
2/
次の日。
訪れた魔理沙は、酷く傷ついていた。
触れることさえ躊躇うほどボロボロに傷ついていた。いや、見た目のことではない。見た目はいつもどおりの魔理沙だ。
しかし、心だけは見なくても分かるほどに傷ついていた。
酷く落ち込んだ魔理沙に、私は声を掛けることさえできずに、ただ時間だけが進んでいく。
静寂に包まれ、なんとなしに重い空気が漂っていたこの場を変えたのは、意外なことに魔理沙だった。
「嫌いって」
「え?」
「嫌いって言われたんだ。………アリスに」
一瞬、魔理沙が言っていることが分からなかった。
ただ、アリスという名前だけはっきり聞こえた気がする。
アリス・マーガトロイド。魔法の森にいる人形遣い。たまに本を借りに来ることがあったから知っている。
しかし、魔理沙とアリスの仲が良かったことは初耳だった。
「分かっているんだ……ッ。これはいつも通りの喧嘩だって事ぐらい。でも、あいつと喧嘩する度、怖いんだ。アリスが私を見捨てそうで。どうしてこんな気持ちになるのか分からないが、胸が苦しいんだ。あいつを……――――想うと」
(なんて、こと)
その魔理沙の状態を私は知っていた。
『それはですねパチュリー様。恋わずらいですよ』
咲夜がかつて言った言葉を思い出す。目の前が真っ白になるような気がした。
魔理沙がアリスに、恋……している?
そう考えがその答えにいたった瞬間。私は体を動かし、次の行動に移っていた。
だって、魔理沙がアリスを好きだなんて。聞いていない。
じゃあ、私の今までの努力はなんだったのか。
魔理沙に振り向いてもらうためにがんばってきた。
がんばって、魔理沙を私に振り向かせようとした。
なのに、それを――――――。
「ねえ、魔理沙」
「パチュリー?」
魔理沙の顎を持ち上げる。
もう止められない。
採られるぐらいなら、私が摘んでしまおう。
「おい、何を―――――!」
唇が重なる。
魔理沙と私の唇がゆっくりと。
心が波立ち、熱情が渦巻こうとも、乱暴にしていいというものはない。
せめて、優しく。
勘違いでも私しか感じられなくなるように甘美で、魅惑的な口付けで、魔理沙に私という存在を刷り込ませれば、少しでも魔理沙が私しか考えられないようにすれば。
魔理沙は私を選んでくれる。
(なんだ、始めからこうしていればよかった)
ソフトな口付けを終え、ゆっくりと唇を離す。
優しい口付けに、魔理沙はゆっくりと瞳を開けた。
「パチュリー………、今のは――――?」
いつもの魔理沙からは考えられないほど、か弱い声。元気印がトレードマークの魔理沙のこんな表情を見れるなんて、と私は陶酔した。
(もっと、見たい)
快楽で溺れた魔理沙が見たい。
私を求めてる魔理沙が見たい。
喘ぎ、爆ぜる魔理沙が見たい。
魔理沙の全部が見たい。
魔理沙の全部がほしい。
私は魔理沙の胸の部分に手を置く。愛撫するためじゃなく、ただ単純に心臓の音を図るため。心地よい鼓動が手にまで伝わってきた。
「苦しい痛みも、胸の傷も。全部、私が忘れさせてあげる」
「ぱ……ちゅ、りー」
魔理沙の潤んだ瞳が私を見つめる。
(もう、堪らないっ!)
ガタンッ、と魔理沙を押し倒す。
「私、魔理沙のことが好きよ。堪らなく愛している。………魔理沙は、私のこと好き?」
押し倒し、魔理沙の顔がいつもより近くにある。
それだけで、私のアソコは濡れてしまいそう。いや、たぶん濡れている。
誰かと体を交えるなんて、一体何年ぶりだろう?
でも、こんな風に狂おしいほど愛していた覚えが無い。機械的になら何度か体を開いた事はあるが。
「わ、私は――――――」
「ん」
返事が出るまでは手を出さない。
無理やりなんていやだから。魔理沙が私を求めなければ、私も魔理沙を犯さない。
魔理沙の泣き顔なんて絶対に見たくない。
「お前といると楽しいし、お前が笑ってくれると嬉しい。この感情が好意………何だとしたら、私はパチュリーの事が――――――好き、なんだと思う」
魔理沙が私のことを好きといってくれた。
そのことで頭が熱くなる。
もう止めれない。止まらない。魔理沙から直々にOKも出たんだ。
私は魔理沙の全てを奪ってやる。
そうして、その晩。
私と魔理沙は体を重ねた。
3/
轟々と吹雪が吹き荒れる深夜。
私はベットからゆっくりと起き上がる。
シーツが肩から落ちて、私の裸体が明らかになった。
(そうか、魔理沙としたんだっけ………セックス)
ずっと待ち望んでいたことだというのに、この空白はなんだろう。心が満たされない、ぽっかりと開いた穴から風が通り抜け、寂しいという痛みを心に刻み付ける。
いや………むしろ虚しい、か。
結局一時でも、魔理沙を自分のものだと体を重ねど、事実魔理沙がアリスのことを好きだということは代わりが無い。
魔理沙がそういうことに疎かったから騙されてくれたが。いつか気付くときが来るだろう。
魔理沙が抱く感情の意味を、魔理沙が理解したときこそ私と魔理沙の関係が壊れるときだ。
そんな、終わりが見えているスタートを何故私はしてしまったのだろうか。
隣で安らかないびきで寝る魔理沙を見ながら、私は後悔していた。
ただの友達で入れば、こんな思いはせずに済んだのかもしれない。
「報われない恋はするものではない」
魔理沙を抱いて、愛を伝えて、でも私には何も残らなかった。
魔理沙が私に抱かれているとき、一体誰を幻想していたのか、私は知っているから。
でも、ごめんなさい。魔理沙。
私は貴女を愛しているから。
ごめんなさい魔理沙。
貴女を逃がしてあげることは出来ない。
例え鳴かなくなってしまっても、私だけは貴女を籠の中で大切に育ててあげるから。
だから、ごめんなさい。魔理沙――――――。
4/
それから何度か魔理沙と体を重ね、私を刻み付けた。
私無しではいられなくなるほど。
(ねえ、魔理沙)
(なんだ?)
その日は、魔理沙が私を愛してくれた。そろそろ、セックスにも慣れてきたからかもしれない。押し倒された私はその魔理沙の鈴とした態度に再びほれ込んでしまった。
そんな睦み合いがおわったころ。
(結婚しない?)
私はプロポーズしていた。
分かっている。魔理沙が愛しているのはアリスだということを理解している。
それでも確かに私と魔理沙は愛し合っていた、という証が私はほしかった。
だから、断られても構わなかった。
むしろ、断られたらけじめを付けることが出来る。
これ以上自惚れないように。これ以上魔理沙を傷付けないように。
(ああ、いいぜ)
だから、すんなりOKもらったときは、流石に吃驚した。
(いいの?)
(何言っておいて、驚いてんだよ。当たり前だろう? こんなに愛し合ってりゃ。私はずっと待ってたんだぜ)
その言葉に偽りはなかった。
私は気付けば泣いていた。
だって、ずっと届かないものだと思っていたから。
だから、魔理沙がプロポーズに応じてくれたときは、素直に喜んだ。
考えれば。
私はこの時点で、既に間違えていたのかもしれない。
何故なら、魔理沙の頭の中では常にアリスのことで一杯だったのだから。
例えばそう。
私との結婚式を、アリスと仲直りするきっかけにするほどに。
5/
それから少したった後。
魔理沙との結婚式の次の日。
幻想郷から、アリスが消えたことが文々。新聞で明らかになった。
その時の魔理沙の慌てようといったら、それはもう。
問いただそうと妖怪の山まで出向いて、文を捕まえようとしたが。椛にそれを阻まれた。
(これから先は文様の家だ。一歩も入れるわけにはいけない)
椛の常には感じられない殺気で圧倒された魔理沙は、見るに耐えられないほど悔いていた。
「アリスの変化に私がもっと早く気付いていれば―――――――――!!」
そんな状態が長いこと続いて、丁度一年。
アリスが居なくなってから、丁度一年目のその日。
魔理沙は、雪の降る中。ずっと星空を眺めていた。
私は知っていた。
私と見えないところで魔理沙がアリスを探していることを。
だからわかってしまった。
魔理沙は気づいてしまった。
一年前。私がかき消した胸の痛みの意味を。
「行きなさいよ」
「え?」
だから、魔理沙を解き放ってやる時が来たんだと、私は理解して。
そっと背中を押した。
「私は十分幸せだったわ。魔理沙と少しの間でも、こうして夫婦ごっこが出来て。………だからね、今度は魔理沙の番。アリスを探しに行きなさい。そして必ず幸せになりなさい。これは、約束よ」
きょとんとしている魔理沙の顔まで、魔理沙の帽子をかぶせて
「ぶっ、な、なにを!?」
深く被せ過ぎた帽子で魔理沙の顔が隠れたところで、私は静かに涙を流した。
こんなに情けない姿を見せたくないから。
だから、こんな方法でしか私は魔理沙を見送ることが出来ない。
「アリスのことが好きなんでしょう?さあ、行きなさい。魔理沙は私なんかで止まるほど愚かではないでしょう?」
ようやく、涙も止まったところで私は魔理沙の帽子から手を離す。
魔理沙が私のほうを見ている。
「パチュリー」
「何よ。………情けない顔していないで行きなさいよ、馬鹿」
魔理沙がしばらく考えたような顔をして、頷いて、はにかんだように笑った。
その眩しさは私と結婚する前、生き生きと自分の為に生きていた頃の魔理沙に戻っていた。
「馬鹿、馬鹿と言われてちゃ、黙っていられないよな。よし、パチュリーというとおりだぜ。サンキュー、私も楽しかったぜ。少しの間だったけど、ありがとな」
そう言って、魔理沙は箒にまたがり空に飛んでいった。
私の元から逃げた、離れていった星の輝きを持つ少女。
それが、一年前の物語である。
7/
あれから、パチュリー様は良く魔理沙の旅立った空を眺めることが多くなった。
まるで何かを待ち望んでいるように。
まるで何かを求めているように。
「パチュリー様………」
魔理沙が幻想郷から姿を消して一年。
パチュリー様は死んだように日々を過す。
昔は美味しいお菓子を食べれば顔が綻んだし、私が失敗すれば怒ったりもした。
だけど、今では屍のように日々を過している。
喜怒哀楽を忘れ、ただ一日の機能を繰り返しているだけの機械人形。
機械仕掛けの人形の意味は『無意味』である。その無意味に今パチュリー様は近づいている。
だから私は魔理沙を恨んでさえいる。だって、これでパチュリー様は――――――。
「パチュリー様?」
そこで気付く。
先ほどまで、本を読んでいたパチュリー様はいつの間にかいなくなっていた。
ただ、猛吹雪が窓に当たる音だけが室内に響き渡る。
(まさ、か)
天気のいい日は外に出て空を眺めるように――――――。
だけど、今日の天気は最悪。
外に出れば帰って来れるかさえ分からないような冬。
いやな予感が脳裏によぎる。
もしも、この猛吹雪の中。パチュリー様が外に出たら。
刹那、私は全力疾走で図書館から飛び出す。広い館の中を出来る限りのスピードで走り、扉から外に出た。
「ぐっ………」
凄い勢いの風と雪が一気に体にたたきつけられる。
一歩、一歩、進めば進む毎に体力が削られる。こんな中をパチュリー様が行ったというなら、命の危険さえ出てくる。
私は健康体だから大丈夫だけど、一方パチュリー様は例え不老だとしても不死ではない。
心臓を貫かれれば死ぬし、持病の喘息の発作が起こって、それが酷くなれば死に到る可能性だってある。
パチュリー様が死ぬなんて、いやだ。考えたくも無い。
だって、だって私は。
(パチュリー様のことが好きだから)
「パチュリー様!」
少し前に人影が映る。
私は必死になって人影に手を伸ばした。
「この馬鹿! お前までこんなところで何をしているんだ」
「え?」
唐突に後ろから引きとめられる。
聞いた事はあるが、少しだけ大人っぽく変わった、その声の持ち主は――――――。
8/
「目覚めたか」
目が覚めて、始めて見たのは一年ぶりの霧雨魔理沙の顔だった。
背が伸び、幼いイメージだった大きな瞳は少しだけ細くなった魔理沙は大人の女性と表現するに正しい容姿となっていた。
一年でこんなに変わるものなのか、少しだけ驚いたが、それよりも心配することが他にある。
「パチュリー様は!?」
魔理沙の胸倉に掴みかかる。
平然としている魔理沙を少しだけ殴りたい欲求が溢れ出てきたが、今はそれどころではない。パチュリー様のほうが大切だし、第一魔理沙を殴ったらパチュリー様が悲しむ。
「パチュリーなら、隣の暖を取った部屋で寝ているわよ。安心しなさい、発作はおさまったから」
「貴女は――――――アリス、さん」
魔理沙の奥から出てきたのはアリス・マーガトロイド。
「帰ってきたんですね。アリスさん」
二年前に幻想郷から姿を消していたアリスさんと、それを探しにパチュリー様の元を去った魔理沙。私にとって、パチュリー様を傷付けた人たち。
「よく、私達の前に姿を現すことが出来ましたね。パチュリー様を傷付けておきながら、よくも――――――――」
憎しみをたっぷり込めた視線を魔理沙とアリスに向けながら、私はそう呟く。
だってそうだろう。
魔理沙と別れ、居なくなってから今日までの一年間パチュリー様がどんな思いで過していたか私は知っている。
届かない思いと知りながらも、魔理沙のことを思いずっと空に焦がれて過して来た機械のような毎日。
その痛みを、ずっと見てきた私は知っている。
その苦しみを、ずっと見てきた私は知っている。
なのに、魔理沙は平然と当たり前のように幻想郷に現れた。
魔理沙が帰ってくれば、パチュリー様は今までよりも酷い毎日を送るだろう。だって、魔理沙はアリスと共に居る。それをパチュリー様は見続けなければならないのだから。
好きな人の幸せな姿を見るのは嬉しい。
だけれど、好きな人が別の人と幸せになっているのを見るのがどれだけ辛いか。
パチュリー様を好きで、ずっと見守ってきた私には理解できるから。
だからこそ、魔理沙のことが許せなかった。
「分かってるさ。私はこの場に居るべきではないことぐらい。わかっている。だけどな」
魔理沙は辛そうな表情で
「私は幸せになった。パチュリーが背中を押してくれたおかげでな。だから、次はお前の番だぞって、私が言ってあげなきゃいけないんだ。それが約束なんだ。パチュリーとの、な」
そう、端然と言い放った。
「何を………貴女が、貴女自身がパチュリー様を傷付けているんだ! パチュリー様は魔理沙のことを好きなんですよ!? なのに、幸せになれだなんて――――――あなたが言いますか! パチュリー様を捨てた、あなたが!!!」
自分らしくないことは言っていてわかっている。こんな感情的になる必要も無い。
それでも、そうせずにいられなかった。
他でもない、パチュリー様の為に。
「リトル」
魔理沙が私の名前呼ぶ。
その次の瞬間。
パンっ、と音が響いた。
魔理沙に殴られたことに気付くのに数十秒、そして魔理沙が私の胸倉を掴んだのを理解するのに数秒を要した。
「確かに、私はパチュリーの優しさに甘えたさ。傷付けたことも知っている。でも、じゃあお前は一体何をしているんだ」
「何を……って」
パチュリー様を気遣って―――――。
「好きならな、ただ見守るだけじゃいけないんだぜ。パチュリーの心が未だに私にあるって言うなら、パチュリーのことを好きなお前は、奪わなきゃいけないんじゃないのか? 悔しくないのか好きな奴に振り向いてもらえなくて」
考えてみればそうだ。
私はパチュリー様を影から見守りはしても、思いを伝えようとは考えなかった。
パチュリー様が傷つくのはいやだったから。でもそれなら、魔理沙を傷付けてまで愛したパチュリー様に比べて私は、ただの臆病者だったのだろうか。
「そうですか」
私は立ち上がる。
魔理沙のおかげで決心が付いた。気に食わないけれど、感謝してやってもいい。
「私は奪います。貴女が奪って言った、パチュリー様の心を」
そして、人形のようになってしまったパチュリー様を癒してあげるんだ。
(私が癒す。パチュリー様の心の傷を)
善は急げ。
私はパチュリー様の元に向かう。
全てはあの二年前から止まってしまったパチュリー様の時間を取り戻すために。
/8.5
「やれやれ手が掛かる奴らだぜ」
小悪魔が足はやとパチュリーの元へ走っていくと同時に、魔理沙は背伸びをし呟いた。
それに対してアリスは呆れたように苦笑いを零した。
「で、がさつな魔理沙が恋のキューピットだなんて、珍しいじゃない? どういう風の吹き回しかしら?」
「がさつじゃなくて、細かいことは気にしないって言ってくれよ。アリス」
「あら、本当のことじゃない」
ははは、とアリスと魔理沙は笑う。
こんな冗談を言い合えるまでに二人の関係は深くなっていた。
二年間の時を経て繋がった二人だからこそ、ここまで愛し合っているのだ。互いに片時も離れないという誓いを交わしている。
遠回りで歪んだ恋は、静かに実り始めていたのだ。
「まぁ、私がアリスとこうしていられるのも全部パチュリーのおかげだしな。パチュリーと結婚しなきゃ、お前は居なくならなかったかもしれない。だけど、この想いに気付かなかっただろう? 私とアリス、離れてようやく分かったんだからな。互いの大切さを。だからこそ、パチュリーには感謝しているんだ。あいつのおかげで私は今こうしてアリスと共に歩めるんだから」
そっと、魔理沙がアリスを引き寄せた。
「もうッ、駄目よ他人の部屋で。続きは魔理沙の家で……ね」
「ええ――っ、この吹雪の中帰るのかよ――――? いいじゃん、レミリアに言えば部屋一つぐらい貸してもらえるぜ?」
「この吹雪の中ここまで来たのは、誰のせいよ!いいから帰るわよ!」
と、押し問答が続いて、魔理沙とアリスも部屋から出る。
アリスの意見が適用されたようだ。
そして、二人が館を出るとき。
魔理沙は振り返り、誰にでもなく呟いた。
「私は幸せになったぜ。………次はお前の番だ。がんばれよ」
/9
恋なんて。
愛なんて。
残酷で、無駄なもの。
必ずしも実るわけではないそんな曖昧なものに、振り回されてきた私はとても愚かだ。
いつからだろう。
――――――苦しいなら、人形のように過せば。
いつからだろう。
――――――悲しいなら、人形のように振舞えば。
いつからだろう。
私が笑わなくなったのは、私が喜怒哀楽を捨てたのは。私の心が無くなったのは。
轟々と吹雪が窓に叩き付けられる音が室内に響き渡る。
(死ぬ、つもりだったのに)
何もかもが嫌で、死ぬつもりだった。
雪が降り続く中で、私は死ぬつもりだった。
だけど、意識を失う直前。
鼓膜を打ったのは、小悪魔の声。
「パチュリー様!!」
思えば彼女にも辛い思いをさせてきた。
私を励まそうとした事だってある。私を笑わせようとした事だってある。私を怒らせようとした事だってある。
それでも、私には届かなかった。
いや、私の心が遠かったせいで届かせることが出来なかったのだ。
だから彼女が悪いわけでは決して無い。
だから、私は随分と小悪魔を傷付けていたのだろう。現在も、こうなる前も。
(自分で自分がいやになってくる)
このまま、手首を噛み千切って死んでしまえば小悪魔はどう思うのだろうか?
悲しむだろうか? 苦しむだろうか? 泣くだろうか? 怒るだろうか?
「私はいつだってパチュリー様が辛いと悲しいですし、苦しいですし、泣きそうにだってなりますし、怒りたくもなりますよ」
「え?」
いつのまにか、その小悪魔は隣に居た。
「小悪魔」
「私は貴女のことが好きです。どうしようもないくらい、大好きです」
彼女は何を言っているのだろうか?
彼女は知っているはずだ、私の心が既に無いことを。私は何も感じない人形だということを―――――――知っている、はずなのに。
「貴女の思いは私には届かないわ」
雪が舞う。
溶けぬ心は、いまだ凍って、時は未だに止まったまま。
それはまるで、雪のように。
その雪が外で舞っていた。
「届かないなら、打ち抜いて差し上げましょう。私は諦めません。パチュリー様が参ったって言うまで離してなんてあげませんから」
無いはずの心がドクンと大きく脈動する。
久し振りの高鳴り。
体の奥から熱くなっていくような感覚―――――――私は、それを微細に感じ取った。
途端、気付いてしまった。
これ以上小悪魔に踏み込まれれば、私が築いた心の壁が崩れ去ってしまうような。そんな幻覚。だけれど、はっきりと感じる予感に私は思わず逃げようとして、ベットから降りる。
だけれど、広い部屋でも壁という仕切りに四方を囲まれている室内で逃げ切れるはずも無く。
「パチュリー様」
「いや、……小悪魔」
あっという間に、私は小悪魔に抱き留められていた。
その小悪魔の鼓動の音が、私の鼓動と重なる。
熱い。
なんでか、体が物凄く熱い。
「やめて、小悪魔。離れて、………お願い――――ッ」
「離しません。絶対に」
堤防が、壁が、全てが崩れていく。
冷え切った心が、凍った心が、私の止まった時間が―――――――全部が動き出そうとしている。
(もう、傷付くのはいやなのに)
涙が頬を伝う。
抱きとめられた私からは小悪魔の顔が見えない。つまり小悪魔も私の顔が見えない。それが唯一の救いだった。
隠した涙が、伝う。
それはまるで溶けた雪のように、冷たい液体は堰をきったかのように次々と零れていく。
熱い、溶けて行く私の心。
こんな思いをしたのはいつ以来なのだろうか。
溶けた心が酷く痛む。
この痛みから逃げる為、私は冬に外に出るよう心がけたというのに。
(どうして、小悪魔は)
「どうして貴女は。私の傷を弄るの―――――――?凍ったままで居ればなくならない雪を、溶かすようなまねをするの?感じなければ、痛むことも無いのに」
「それでも、私は貴女が好きだから。その痛みを拭ってあげたいんです」
なんて大胆な告白。
だけれど、
なんて、温かい。
この温もりを、私はずっと求めていた―――――?
「パチュリー様?」
「私の心を魔理沙から奪いたいんなら、滅茶苦茶にして。私が魔理沙を忘れられるように」
小悪魔にしがみつく。
本当は誰かにこうして抱いてほしかったのかもしれないな、と思いながらも。
私は小悪魔が紡ぐ言葉に期待していた。小悪魔の言葉が私を救ってくれる気が、したから。
「わかり、ました。パチュリー様が求めるなら。………いいんですね? パチュリー様?
途中で止まることはできませんよ」
小悪魔が確認を取る。
私が小さく頷くと、ゆっくりと小悪魔が私を押し倒した。
「私が貴女の凍った心を溶かす」
全てが今ここに。私の物語がようやく始まろうとしているような気がした。
10/
パチュリーの衣服は全てベットの傍らに投げ捨てられ、同時に小悪魔の衣服もそれに重なるように落ちていた。
そしてベットの上からは二人の喘ぎ声が漏れていた。
(ん、んふぅぁ、はっあ)
ただ、獣のように交わり続ける二人。始まりは静かだったが、始まってしまえば獣のようにもっともっとと互いが激しく求め合うのだ。
ただ、互いの性器と性器を摺りつづけるだけの単純な動きだけだというのに、快楽はひとしお。
欲求を快楽で埋め、更に快楽で上乗せしていく。
パチュリーの凍った心を溶かすための行為。
小悪魔の愛を刻むための行為。
そして、止まった時間が動き出すための糧。
はじまりがようやく始まろうとしていた。
「小悪魔っ、私、もうっ」
「私、もイキそうです。一緒にいきましょう!」
達する直前にまで、小悪魔は優しい。
パチュリーは泣きながら、器用に微笑み。
「うんっ、うん、うん、うん―――――――!」
「ぱ、ちゅりーさまぁ」
動きが激しくなる。
ベットがぎしぎしと軋む中で、小悪魔とパチュリーは一つに解け合おうとしていた。
「「あぁぁあああああああぁ!!」」
達したのは二人同時。
全てが終わった後。
小悪魔はパチュリーを抱きしめ、パチュリーはその温もりに目を細め、ただそれだけを感じていた。
「愛しています」
「うん」
「大好きです」
「うん」
ほんの少しの間のあと。
「私も、小悪魔のこと好きになれるようにがんばるから」
「―――――!?」
「だから、少しだけ待ってて」
そっけない口調。
でも、その表情が綻んでいたのを小悪魔は見逃さなかった。
些細な変化だけれど、大きな一歩。
パチュリーの心に積もった雪が溶け始めた瞬間だった。
eploug
それから一週間後。
魔理沙とアリスは改めて紅魔館に訪れた。
「いやぁ、一時はお世話になったぜ。それより私とアリスが居ないうちに結婚したんだってな、咲夜」
「ええ、美鈴が目覚めてから一年ぐらいはリハビリだったし。貴女がいなくなって、すぐによ」
咲夜と魔理沙が世間話をする中。魔理沙はアリスを傍らに幸せそうに微笑んだ。
「咲夜」
その中、凛とした声が響き、咲夜の後ろから中国―――――――じゃなかった、美鈴が訪れる。咲夜の顔が綻んだ。
「どうしたの? 美鈴」
「よう、久し振りだぜ。中国!」
美鈴ははあ、と溜息だけ付くと咲夜に目配せする。
どうやら準備が整ったようだ。
「分かったわ、じゃあわたしはここで」
美鈴の言おうとすることに目線だけで気付き、咲夜は立ち去る。その見るからに熱々ぶりを見て、魔理沙はにやにやと微笑む。
「熱いじゃないか」
「―――――っ! や、止めてください」
散々弄る魔理沙。
それを見ながら、アリスは溜息を付き放置を決め込んでいた。
「熱々なのはあんたもでしょう?」
そんな美鈴に救いの手を差し伸べたのは、博麗神社の巫女―――――博麗霊夢。
「まぁ、私達も他人のこと言えないんだけどねぇ、ねぇ?れ・い・む♪」
その横に居るのは、スキマから顔を覗かせた八雲紫。
この二人も幻想郷の名物カップルとなっていた。
魔理沙、アリス。
霊夢、紫。
咲夜、美鈴。
片方が人間で、片方が妖怪。
種族を超えた愛と恋の形がここに終結していた。
それぞれの遠回りな物語の中、また一つ生まれる物語を祝うために。
そう、今日は小悪魔とパチュリー・ノーレッヂの結婚披露宴。
喧騒に揉みくちゃにされてはいるが、中心の位置にパチュリーと新郎の小悪魔が座っている。
「そろそろだな」
披露宴が始まって数時間。そろそろ、結婚式も終わろうとしている。
『はーい、では、最後に花嫁からブーケが投げられますので、ほしい人はならんでくだ……ちょっ、押すな! 潰れるだろう!? ツルペタっていうな――――!』
鬼が小さな背で人だかりを制御仕様としているが、ギリギリのようだ。見るに見かねた咲夜が手伝っていた。
「では、花嫁。パチュリー様、お願いします」
その咲夜が耳打ちする。
「そうね、じゃあ」
パチュリーがブーケを構える。
かま、える?
一同がその場に漂い始めた魔力の渦に疑問を感じる。
『日符』
その呟きに、今度は一同固まった。
『ロイヤルフレア!!!』
「え? ちょっ、スペカっ!?」
霊夢があたふたと慌てだす。その霊夢を掴んで紫はスキマへ退散する。
美鈴も呆然としていたが、次の瞬間には咲夜の時を操る能力のおかげで範囲外に避難されていた。
人だかりは既に退散しており唯一。
魔理沙だけがそれに気付かないまま。
「ぐおぶっっっっっ!!」
まんまと当たっていた。馬鹿な奴である。
「なにっ、すんだ!!」
訳が分からない魔理沙は焦げたブーケを掴んで、パチュリーの元に飛び掛る。その顔には怒りが浮かんでいたが。
「――――――む」
魔理沙は掴みかかる寸前でその手を止める。
何故なら、パチュリーが泣いていたから。でも、この表情の意味を魔理沙は一瞬で理解し問いかける。
「今、幸せか? パチュリー」
ただ、燦然とした問い。
脈絡も無い、突然の問いに。
パチュリーは満面の笑顔で。
「うん!」
そう呟いた。
雪は溶け、リリーが春先を告げる麗かな日々の中。
歓声と祈りを一身に、パチュリーと小悪魔は誓う。
互いの愛を。
もう忘れない、永遠の想いを。
傷を癒すには永い時間が掛かる。その永いときを互いの為に共に歩むと決めて。
きっと、いや絶対に溶けない雪は無いのだから。
長い冬に、春が訪れたように―――――――雪が溶けた暖かい、そんな日に。