想い刻を越えて
場所は衛宮家。
「あ゛―、暑いわね。どうにかなんないのかしら?この暑さ」
吹き出る汗も無視して、遠坂凛は居間の真ん中で団扇を片手に、そう呟いた。
家主曰く、クーラーは電気を食うから、クーラーは本当に暑いとき以外、使用禁止。
のもと、暑さをしのぐものも無いここで、一日を過ごしていた凛は、心の中で何度も
士郎を殺しながら、暑さを忘れていたのだが
「今日はアルトリアと出かけるんだ。留守番宜しく」
あの日以来、私に対して堂々と行動できるようになった士郎はこんな感じに、週末には
仲良くデートに行ってしまう。
なんでもアルトリアは日本に不慣れで(外国人なんだから当たり前)色々な観光名所へ連れて行っているらしい。
(まぁ、士郎が幸せならいいけど。なんか、あんな幸せな顔していると、むかつくのよね
自分でも良く分からないけど――――)
考えを途中で止めて、訂正する。
(いや、分かっている。私が士郎のことを好きだから、士郎が他の子と仲良くしているのは正直嫌だった)
「だから、むかつくのよ」
力なく手を宙に差し伸べると、またあいつの顔が浮かんできたので
「っ」
差し出した手で握りつぶした。
こんな日々を、アルトリアが夏休みに入ってから幾つも繰り返し、というか、既に日常になってしまった。
「はぁ〜」
自分でも珍しい(最近では珍しくもなくなったが)溜息をこぼし、今頃士郎達がしている事を頭に並べていく。
公園で一緒に遊んだり。
手を繋いで新都を周ったり。
有名な観光地で一緒に写真撮ったり。
お昼がてらにどこかのレストランでご飯を食べたり。
…………―――――――あげていったらきりがない。
「はぁ」
自分でも珍しい(最近では珍しくもなくなったが)何度目かの溜息を漏らし
(ちょっと、眠い、少しぐらい寝てもいいよね)
いきなりの睡魔に襲われて、沈むように遠坂凛は眠りに落ちた。
「さん」
誰かが私を呼ぶ
「さん、……さん」
誰かは私を激しく揺らし、起こそうとする。
「遠坂さん、遠坂さんっ、起きて」
最初は呟く程度だった声もどんどんはっきりと聞こえてきた。
どうやら声の主は藤村先生らしい。
「り、凛さん?」
む、もう一人、いる?
しかも、妙に聞きなれた。
士郎の心を奪ったまま、現世から去っていった誇り高き騎士王、
「アルトリア、なんで、ここに」
に良く似た少女。
珍しいどころじゃない、異常な組み合わせだ。
士郎とデートしていたはずのアルトリアは、今、藤村先生と一緒にいる。
どうして?士郎は?の前に、この2人がどこで出会ったのかが謎だ。
「あれー、忘れたの?遠坂さん。私、一応教師なんだけど」
拗ねてしまった、自称教師。
ああ、そうか。
そこで気付いた、アルトリアがどうして制服を着ているのかも。
つまり、土曜日。
午前中に学校が終わる日、その後デートに出かけようとしていたアルトリアは、その前に
藤村先生に捕まってしまったのだろう。
久しぶりの再会に興奮した、タイガーは今の今までアルトリアを連れ回し遊んでいたという事だ。
「………―――――先生」
私は心中で士郎に合掌して、先生を見つめなおす。
「その子はセイバーじゃありません」
真実を告げた。
アルトリアはその言葉に、一瞬顔を顰めたが、直ぐにいつもの表情に戻った。
「ぅええぇえ!!だって似てるよ!?ご飯イッパイ食べるのだって変わってなかったし、
セイバーちゃんって呼んでも怒んなかったよ!??」
藤村先生は教師らしくない、物凄い動揺と驚愕でしばらくあたふたしていた。
「あのですね、先生。どこの生徒が教師に怒れるというんです?先生なら生徒の顔ぐらい把握していなければ嘘でしょう?彼女は四月から新入生として在学していたはずなのですが?それまで分からなかったのですか?」
溜息をつきながら、呆れた私の質問に頷くと
「うん、担任って訳じゃなかったし。それにセイバーちゃ、じゃなかった。アルトリアさんのクラスには一回も授業に行ったことがないし、そもそも全校生徒の顔を把握していなきゃ教師じゃないだなんて、偏見だよ〜〜」
単純明快な答えを返してくれた。
(それはそうだけど、金髪の留学生が噂にならないはずがないんだけど)
「まぁ、いいか」
どうせこの人のことだ、興味は湧いたけど調べるのが面倒くさいからとか、そんなもんだろう。タイガーだし。
「なんか、今失礼な事考えていなかった?」
(なんか、最近鋭いのよね。タイガー。心を読めるあたり、この人ホントは魔術師だったりして、なんてまさかね)
「いえ、そのようなことは断じて」
笑顔で否定して、今度はアルトリアと向き合う。
「きちんと顔を合わせるのは初めてね。アルトリア」
自然と声が鋭くなり、視線もきつくなる。
私にとって、アルトリアは士郎の心を掴み、離さないセイバーに似ているというだけで士郎の心を手に入れたライバルだ。
当然、ライバルに開く心など無い。
あの時は士郎のアルトリアを見つめる横顔が、とても穏やかで邪魔するのは無粋だと思ったから、わざわざ席を外したのだ。
今は士郎がいない。
お互い『本当』で話し合ったほうがいいだろう。
「………―――――」
「あら、遠慮なんてしなくてもいいのよ?」
初対面というわけではないが、相当きつい接し方をされている側にとって、不快だろう。
ここで、彼女が本性を出してくれれば、こっちとしては願ったり叶ったりだ。
「凛」
そして、アルトリアは私の名前を冷静に読んだ。
「え!?」
一瞬目を疑った。
さっきまで、ただの少女だったアルトリアは、静かに。
静かに私の名前を読んだ時の、目、声、顔。
すべてがセイバーと一致していた。
「せい、ばー」
アルトリアは何も言わずに立ち上がると、私を冷ややかに見下ろした。
その時の姿も
いつかの
誇り高き騎士王が如き
美しく凛としていた。
私は聖杯戦争が始まった日、あの気高く美しいセイバーのサーヴァントに心奪われた。
その時私とセイバーは敵同士で、剣を突きつけられ見下ろされたとき死ぬと思っていたのに、私は身を守ることさえもしないで――――――――
ただ、そんな死の危機よりもその姿に、見惚れていた。
「凛、さん?」
私はそんな弱々しい声で現実に戻ってきた。
弱々しい声とはもちろんアルトリアの事なのだが。
どうして彼女はさっき私を呼び捨てにしたのだろうか?
「なんでもないわ、アルトリア。そんなことより、どうして貴方、私を呼び捨てに―――?」
どうしても気になったので、聞いてみた。
それに彼女は一瞬呆けた顔をしてから、黙り込んだ。
「アルトリア?」
おかしい。さっきからアルトリアの様子がおかしい。
何か、やましい事でもあるのだろうか?
「なん、でもありません」
しかし、アルトリアはなんでもないと小さく呟いた。
しかし顔は蒼く、具合が悪そうだ。
「ちょっとアンタ、なんでもないって顔じゃないわよ?もうすぐ士郎も帰ってくるし、休んでなさい、ってちょっとアルトリア!?」
私が全て言い終わる前に、アルトリアは崩れ落ちるように倒れた。
◆
数十分後
士郎も帰ってきて、彼と藤村先生は居間で待機している。
最初、士郎は病院に連れて行こうとしていたのだが、私がそれを止めた。
(まぁ、倒れただけなら病院に連れて行って、なにか薬を処方してもらうだけでいいんだけど、今回のは医学で治せるもんじゃないし)
私は私の部屋のベットで横たわる金髪の少女の横の椅子に腰を下ろす。
「見た目はセイバー、心はアルトリア。その魂どこまで保つかしらね」
私は、誰にでもなくそっと呟いた。
アーサー王の頃の魂、大元の魂が望んで世界と契約した頃。
もし、その心に少しでも王の責務とは別に、もうひとつの望みがあったとしたら。
私の憶測でしかないが、今回のことで確信が持てていた。
サーヴァントの魂は輪廻の輪から外れるというけれど、その魂がひょんな事で分離した場合、分離した片方の魂は輪廻の輪の中から外れることなく、あり続け今を生きる”人間”と
なるのではないだろうか?
英霊としてではなく、ただの少女として生きたい。
そうセイバーが生きていた頃に一度でも望んだ事がないとはいえない。
それがきっかけで、その分の魂が分離してしまうというのは論理的に可能だ。
そして、前回の聖杯戦争でセイバーが英霊として世界と契約する理由がなくなった。
その魂は、解放されて輪廻の輪に戻り、今分離した魂と融合しようとしている。
しかし、分離した魂は輪廻するごとに、違うものに染まっていく。
それが一つになるという事は、要するに
「どちらかの魂が、一方の魂に塗り潰され消える」
アルトリアの魂が残るか、セイバーの魂が残るかそれは誰にも分からない。
今のアルトリアが、凛々しく男らしいセイバーと違った少女らしい性格をしている様に
もはや、この二つの魂は別物となってしまったから。
「そこで、衛宮君。貴方にその選択をゆだねる事になると思う」
一通り説明し終わり私は、士郎に選択を迫った。
残酷なひとつの選択。
その選択によってどのような事が起こるのかを説明した後に。
「俺は」
そして彼はその残酷な選択に静かに答えた。
◆
「そう」
俺が告げた選択に遠坂は静かに頷いた。
それは賛否でもなければ、否定でもない。
中立の意見。
正直セイバーを生かすか、アルトリアを生かすかと聞かれた時。
俺の心は張り裂けそうだった。
最初、できる事ならどちらも生かしたいと答えた俺に遠坂ははっきりと無理だと告げた。
それではいずれ来たる時がくれば、どちらかの魂は自然と消滅する。
そう、遠坂は確かに呟いて、また
「貴方が望めば、どちらかの魂は救われ、どちらかの魂は消滅する」
再び選択を迫った。
そして俺は選んだ。
その選択から、数分。
しばらくの間、物音一つしない部屋の中。
だいぶ楽になったのかアルトリアの規則正しい寝息が聞こえていた。
その静寂を破ったのは遠坂。
遠坂は深い溜息をした後、
「とりあえず、今すぐって訳じゃないし。心が決まったら彼女に伝えなさい。思い出を作りたいなら今のうちよ。貴方がどちらの魂を選ぼうが、今はもう取り戻せないんだから」
気楽に行きなさい、と励ましてくれた。
「今すぐじゃないのか?」
俺はその励ましで少し疑問に思ったので、遠坂に聞く。
だとしたら、なんで今日に聞いたのかということも意味に含め。
「ええ、今日はたぶん魂が融合し始めたという合図ね。今年の冬が峠よ。それを超えれば後戻りは出来ない。それまでに決めておかないと、後悔することになるわ。貴方が決めなきゃ、魂の”思い”が強いほうが勝つのが当たり前なんだから。もちろん、士郎が決めた選択を無視してね」
それに遠坂は淡々と語り、そしてとんでもない事を提案した。
「とりあえず、思い出の一ページを飾りに、プールに行きましょう?衛宮君?」
◆
市営プール
「だからってなんでプールなんだよ」
彼は諦め悪く、ぶつぶつと文句を言った。
「しつこいわね、思い出作りよ。大体あんたに拒否権なんてないんだから。アルトリアも楽しいでしょ?」
私はぶつぶつと文句を言っている士郎を言い負かし、純白の水着を着ているアルトリアに話題を振った。何故かは謎だが、私たち三人の中で一番今日を楽しみにしてい為である。
「はい」
その問いに静かに答えるとそれっきり黙ってしまった。
「?」
(おかしいわね?昨日はあんなに喜んでいたのに)
あの後、すっかり暗くなってからアルトリアは目を覚ました。
なんでもなかったように身を起こして
「すみません、ありがとうございます」
謝罪とお礼の言葉を呟いた。
その後、あまりにも暗いから、と藤村先生は泊まっていくように進め、私の部屋で一晩過ごした。何故私の部屋なのか、それは一人では心細いだろうとの事だった。
「明日楽しみですね」
その夜、彼女は私にそう言った。
本音を言えば、どうせ行った所で士郎とのラブラブカップルを見せ付けられるだけなので
少々、いや結構気が乗らなかったりする。
「そう?」
だから私は適当に曖昧な返事をした。
のに
「はい、これが最後かもしれませんから」
悲しそうに、でも清々しい声で答えてくれるアルトリア。
彼女は全て知っていた。
自分がもう少しで消えるかもしれないという事も全て。
「彼と出会った時、あの頃から誰のか分からない記憶が頭に刷り込まれている。そんな感触で、日々さえ曖昧で。彼と会う時だけがすべてのような気がしていたんです。だっておかしいでしょう?ふと気がつくと自分が剣を持ってどこか知らない場所で戦っているんです。知らない誰かが、私とは違う誰かが私を侵食していっている。
それに――――――――」
本音を一気にこぼした彼女は最後に耳を疑うことを言った。
「もう、既に記憶の半分。両親と過ごした日々や、自分が営んできた人としての生。
それが飛んでしまっている。もはや、私は何歳なのかも分からない。自分の名前はアルトリアだという事も、あなた方が言ってくれないと思い出せない。今日だってそうです。
セイバーちゃん、セイバーちゃんと先生が口にするたび。ああ、私はセイバーなんだって
思ってしまうんです。暗示をかけられたように、そのセイバーさんみたいに、いつの間にか振舞ってしまう」
アルトリアは泣いていた。
自分が消えていく様を、見ているのはどんなに辛いのか。
彼女は自分を自分の腕で抱くと、俯いていた顔を上げて
「なにより、私が一番辛いのは士郎さんの事です。あの春、確かに彼に告白されたとき嬉しかった筈なのに、今では私が彼のことを好きだったのか、それともセイバーとしての私が彼のことを好きだったのか。分からない事が、何よりも辛かった」
心の底から、そう呟いた。
結局私は背中越しに伝わる痛々しい思いと葛藤に、目を向けられず、何も言ってあげることはできなかった。
ただ最後に
「だから楽しみです。私が私である内にアルトリアとして私を残しておきたかったから」
と、喋っていた事だけはおぼいている。
ともかく、今日は最後の思い出作りなのだ。
彼女が言ったとおり、これが最後になるかもしれない。
『峠は冬よ』
いまでは、彼に情けをかけてそう言った事が悔やまれる。
アルトリアは本気だ。
自分がそんなに持たないことも知っている。
私も、アルトリアが冬までもたないことを知っている。
知らないのは、最後の決断を下した士郎だけ。
「たしかに、いつの間にか事が済んでいた、というほうが士郎は傷つかないわね」
相変わらず、暑い夏の日々。
私は誰にでもなく、暑さを凌ぐプールの中でポツリと言った。
◆
そんなこんなでプール。
結局二対一で負けた俺は渋々頷いた。
「はぁ」
どうしてこんなに反対するのか、そんな事自分でも分からない。
ただ、予想というか予知というか。
自分にとって最悪の日になるような気がしていたのだ。
最悪の日とは、即ちあの選択の日。
いくら言葉で選んだといっても、結局俺はまだ悩んでいた。
セイバーを選ぶか、アルトリアを選ぶか。
「でも、遠坂は冬が峠だって言ってたっけ」
でも、内心ではその選択の日が近いと感じていた。
なぜならさっきからアルトリアが度々
「シロウ」
と、彼女だけしか使わない呼び方で俺を呼んでいるから。
ぎりっと歯軋りする。そして後に溜息
(遠坂じゃないけど、とりあえずは思い出作り。答えは出したんだ。だから今は”今”を残すために、楽しまなくちゃ)
「大切な日々の名残を、忘れないように」
アルトリアをちらりと盗み見る。
「………―――――――」
そういえば、さっきから名前を呼ぶ以外喋っていない。
「どうしたアルトリア」
まさか、と思い声をかけ
『峠は冬よ』
その言葉が頭をよぎる。
アルトリアは、いつかの――――――のように微笑んで
「はい、なんですか?シロウ」
――――のように俺を呼んだ。
結局、そのまま俺たちは思い出を残すという行為を、暗いまま終え。
その日、皆が思うとおり、最後の選択の日が訪れた。
(Last daysに続く)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Last updated at :2008/06/07(Sat) 15:40
Publish at :2007/10/22(Mon) 18:06
トップに戻る
過去作品集に戻る